「……ね、起きて。セキ君、目を覚まして」
耳元で声がする。
カナエのささやき声だ。
あれから、茶を飲んで毛布にくるまったまま、深く寝入っていたようだった。
目を開くと、すぐそばにカナエの顔が見える。知らず、顔が赤くなるセキ。おそらく暗がりで分からなかっただろうが。
「囲まれてる。ゴブリンよ」
セキは驚いて飛び起きそうになった。あわてて、枕元の剣を手に取る。
「たぶん、今夜も町を襲撃するつもりだったのよ。通り道で野営を張ったからね。おかげで襲撃は未然にふせげたわけだけど、数が多いわ」
静かに剣を抜き、盾を手に取るカナエ。おそらく、二十匹はいる、と付け加える。
「どうする? 切り抜けられる?」
急に不安になったセキはあたりを窺いながら言った。夜闇のなかに赤く光る目が見えた。ヒビワレツメが寝ずに保っていたたき火が照らす、その向こうに潜んでいるようだった。
「セキ君、できればこいつらを怖がらせるような魔法をお願い」
カナエはそう言ったが、セキにはそれほど大それた魔法は使えない。
それを伝えようとしたが、一瞬遅かった。
降着状態に業を煮やしたのか、ゴブリンたちが一斉に闇から飛び出してきたのだ。
雄叫びとともに、前から後ろから右から左から、ゴブリンたちが迫ってくる。その手には、どこから拾ってきたのか、古びた剣や斧が握られている。中にはまだ新しい農具を武器にしているものもいた。
「んあああぁぁぁっ!」
カナエも負けじと叫び声をあげて、その中の一匹へと向かっていった。
剣が一閃し、醜悪な妖魔の首が飛ぶ。さらに隣にいたゴブリンを盾ではじき飛ばす。そのまま他のゴブリンに切り結んでいった。
ヒビワレツメはその場から動かなかった。セキを守るためだ。
襲いかかってくるゴブリンに、剣を叩きつけている。鈍い音がして刃が食い込むが、少々の斬撃ではゴブリンの戦意をくじくことはできないようだった。
自分とセキに近づくゴブリンを的確に攻撃していくが、何しろ数が多い。
次第に入り乱れての戦場と化していった。
セキは必死になって考えていた。
魔法の矢を生み出して撃つか。いや、そんなものは怖がったりしないだろう。
では眠りの魔法か。しかし、この状況だ。誰が眠ってしまうかはわからない。
覚えている術を頭の中でたどっていくが、すぐにそれは中断された。
ヒビワレツメだけでは、ゴブリンたちを捌ききれなくなったのだ。
セキの前に一匹のゴブリンが立ちはだかっていた。手には棍棒をもっている。
離れたところで斬り合いをしていたカナエが助けに戻ってくる様子がわかったが、セキは戦う覚悟を決めた。
先手必勝とばかりに、小剣で斬りつける。しかしこれは簡単に弾かれ、相手の攻撃を呼び込むことかたちとなった。殴りかかってくる棍棒を、ぎこちない動作でなんとか防ぐと、すぐさま反撃へと転じる。
二度三度の攻防の末に、セキは、剣をゴブリンの胸に突き立てた。
ごぼり、と血を吐いてゴブリンは倒れた。
敵とはいえ、はじめて剣によって命を奪った感触に、半ば呆然とするセキ。
それがいけなかった。
後ろに別なゴブリンの気配を感じた瞬間、脇腹で鈍い音が響き、セキはなぎ倒されていた。一瞬、死が頭をよぎる。だが、ゴブリンは今の一撃でセキを討ちとったと勘違いしたのか、すぐにヒビワレツメの方へ向かっていった。
魔法を使うなら今だ、とセキは思った。そしてすぐに脇腹を確かめる。服に大きな傷ができてはいたが、出血はない。重い痛みはあるが、重ね着をしていたおかげで助かったようだ。あるいは、あいての武器の刃が鈍かったのかもしれない。
ともかく、セキは体を起こすと、腰ベルトからいくつかの小袋を地面にまいた。そして、空中ではなく、その地面に印を描いていく。
もう、使う術は決まっていた。印を描きながら呪文を紡ぎ出す。
『古き血の契約に応えよ、我が声に応えよ、爪と牙で切り裂け、業火でなぎ払え、火竜よ、その力をここへ示せ!』
地面にまかれていた触媒の粉が空中へ舞い、光輝いたかと思うとそこへ、一匹の竜がそこへ現れた。
竜は赤い鱗に覆われた巨躯を震わせながら大きく口を開け、炎の吐息を放つ。
ゴブリンたちは、悲鳴ともうなり声ともつかない叫びをあげながらその場から逃げ出した。
と、その瞬間、竜の姿は何事もなかったかのようにかき消えた。吐いた炎さえどこにも見えない。あとには呆然としたカナエとヒビワレツメ。
「……幻覚の魔法だよ。未熟だから数秒だけだけど」
本来の呪文と術式を隠した偽装魔法で幻術を使ったのだ。幻覚の術そのものはごくごく初歩ではあったが、巨大な幻像を維持することは難しい。
「よ、よし。すぐに追いかけるわ。親玉を見つけたらこっちのものよ。セキ君、ついてきて! ヒビワレツメもたき火を消したらすぐに来て!」
カナエが走り出し、セキもすぐに追いかける。
魔法を使った疲労と脇腹の痛みをこらえながら走っていく。
しばらくいくと、先に少し開けた場所があった。そのさらに奥に、大勢のゴブリンがいた。「いた! あいつだわ!」
群れの中に一匹だけ大柄なゴブリンがいるのがセキにも見えた。
カナエがそのまま群れの中へ走り込み、そのゴブリンのもとへ向かう。セキも彼女を守ろうと、剣を構えて躍り込む。
なにが起こったのか理解できないようで、ほとんどのゴブリンは騒ぐことさえ忘れていた。
剣を水平に構え、騎兵のように突進していくカナエ。
大ゴブリンの反応よりも早く、カナエの剣が体を貫いた。大ゴブリンはしばらくもがいていたが、やがて絶命したのか、ぴくりとも動かなくなった。
他のゴブリンたちはそれを見て、なにかを叫び合い、そして散り散りになって逃げていった。
それで、すべてが片づいたようだった。
木々の合間から、空が少しずつ明るくなってきているのが見えた。
セキは深い深いためいきをついた。疲労と痛みと軽い興奮が、体の芯を揺さぶっている。
やはり緊張していたようで、いまごろになって命がけの場にいたことを思い出し、セキは膝の力が抜けそうな感覚を覚えていた。
無事に仕事をやり遂げたことを互いを讃え合った一行は、休憩もそこそこに、死んだゴブリンたちを埋葬してやった。そして念のために他のゴブリンの集落がないかを調べていく。
それを終えると、ようやく彼らは帰路へついた。
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